|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 西 : [にし] 【名詞】 1. west ・ 寺 : [てら] 【名詞】 1. temple ・ 滋賀県 : [しがけん] (n) Shiga prefecture (Kinki area) ・ 県 : [けん] 【名詞】 1. prefecture ・ 良 : [りょう] 【名詞】 1. good ・ 町 : [まち] 【名詞】 1. (1) town 2. (2) street 3. road
西明寺(さいみょうじ)は滋賀県犬上郡甲良町にある天台宗の仏教寺院。山号を龍応山(りゅうおうざん)と称する。本尊は薬師如来、開基は三修上人である。金剛輪寺、百済寺とともに「湖東三山」の1つに数えられる。西国薬師四十九霊場第三十二番札所。 == 歴史 == 琵琶湖の東、鈴鹿山脈の西山腹に位置する。寺伝によれば平安時代初期、三修上人の創建という。三修上人は、修験道の霊山として知られる伊吹山(滋賀・岐阜の県境にある)の開山上人と伝えられる半ば伝説化した行者である。伝承によれば、琵琶湖の西岸にいた三修上人は、湖の対岸の山に紫の雲のたなびくのを見て不思議に思った。そこで神通力を用いて一気に水面を飛び越え、対岸に渡ると、今の西明寺のある山の中の池から紫の光がさしていた。三修上人がその池に祈念すると、薬師如来の像が出現し、その姿を刻んで祀ったのが寺のはじまりであるという。寺のある場所の地名を「池寺」というのは、この伝説に基づいている。承和3年(836年)には仁明天皇の勅願寺となり、寺領が寄進され、諸堂が建築されたという。「西明寺」の寺号は前述の紫の光が西の方へさしていたことによる。〔(白洲、1992)、p.87 - 88〕 上述の承和3年建立を立証する史料はない。しかし、現存する本堂、三重塔は鎌倉時代の本格的な建築であり、この頃にはかなりの規模を有していたものと思われる。〔(濵島、1992)、p.92 - 93〕 元亀2年(1571年)、比叡山延暦寺の焼き討ちを行った織田信長は、近江国にある比叡山傘下の天台寺院をも焼き払うことを命じ、西明寺も信長配下の武士によって焼き討ちの運命にあった。しかし、寺僧の機知により、山門近くの房舎を激しく燃やし、全山焼失のように見せかけたため、山奥に位置する本堂や三重塔は焼失をまぬがれたという。この兵火の後は荒廃していたが、徳川家などの庇護を受けて徐々に復興し、近代に至っている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「西明寺 (滋賀県甲良町)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|